こぐまの解放日誌

自分のことを見つめ直す時間。韓国語とわたし。

言葉のちから[翻訳コンクールを終えて]

今年4月~7月まで取り組んだ2つの翻訳コンクールの結果が発表されました。

ああでもない、こうでもないと何度も直しては戻し……と課題作と格闘した4ヶ月。特に韓国文学翻訳院の課題「赤い実」は木になったお父さんとの日常を描いた、読んでいる時は楽しく、訳す時は難しい作品だったので思い入れのある物語でした。

 

もしも、もしも、万が一入賞したら韓国で開かれる表彰式に行かなくちゃ、パスポートがもうすぐ切れちゃうわという心配は必要ありませんでした……(笑)結局どちらの翻訳コンクールも残念ながら結果は残せませんでしたが、ひとつうれしいことがありました。

 

とあるスクールさん開催のミニ翻訳コンクール。優秀賞をいただきました。最優秀賞であれば翻訳の実績となるお仕事を頂けるというものだったので逃したのは残念ではありましたが、賞をいただけるというのは嬉しいものです。エンタメ系の内容だったのですが、訳しててとにかく楽しかった!失うものはないわけですから大胆に意訳もしました。それが功を奏したようです。

 

賞をいただけたこと以上に嬉しかったのは、twitterでの学習仲間や一緒に翻訳を学んだクラスメートからの予想以上の祝福。その中に「こぐまさんらしい翻訳だった」という言葉があって、すごく心が温かくなりました。

 

翻訳クラスでのわたしは「実力マンネ」(※実力がいちばん下という意味)だと自分で思っていて韓国語の原文理解力、日本語の語彙力、表現力、リサーチ力、すべてにおいて足りないと思っています。そのうえ、韓国文学を語れるほどの知識もない。だから本当はレッスン中のzoom画面から消えてしまいたいくらいの無力感を感じているときもあります……。

 

だけど翻訳のおもしろいところって同じ原文を何人かが訳したとしても、最初から最後まで全く同じ文章ということってほぼないんです。単語や言い回しが微妙に違ったり、そう訳したか~ほほ~という連続。そしておかしなことに、みんながみんなあの人の訳、素敵だなってお互いに思っていたりするんです。それが翻訳文にあらわれた「その人らしさ」なのかなって。もちろん、原文を書いた作家さんが伝えたいメッセージや作品の内容、作風を変えない範囲での話ですが。

 

だからもしかして背伸びをして自分の引き出しにない難しい言葉を使おうとしなくてもいいのかなって感じました。こぐまらしさを生かせる何かがあるのかもしれないって。素敵な言葉をありがとうございました。

 

わたしは「言葉」が好きです。ああでもない、こうでもないと考えて文章を組み立てながら、パズルのようにぴったりとはまる言葉を見つけていく過程が大好きです。

 

ありきたりではあるけれど言葉には力があるじゃないですか。

当たり前の言葉が並んだ1行だけど心にジーンと響いたり、お守りのように大切な言葉になったり。もちろん逆に人を傷つけたりする怖いものである。

 

言葉というものの重さを感じながら言葉の力を信じながら、自分らしい翻訳ができるようにこれからも勉強していこうと思います。そしてもう「わたしなんて」と思うことはやめようかなと。言い訳をして「あなたには無理だから期待しないほうがいいよ」って自分自身に言ってきたのだと気づきました。

 

もう少し前を向いてみようとおもいます。翻訳が好きだから。

いつか自分の名前が書かれた本が書店に並ぶ日を夢見ながら。

 

皆さんの韓国語勉強の先には何が見えますか?それがどんなものでも幸せな自分自信の姿でありますように。