久しぶりのブログになります。こぐまです。
というのも、息子が中学卒業、高校受験の時期であり、心落ち着かない日々を過ごしていました。無事、合格発表まで終わりましたので感じたことを記しておこうと思います。
韓国語に関する記事ではありませんし、決して熾烈なハイレベルの受験とかではございません。普通の親子の普通の受験についてですが、ご興味のある方お付き合いください。
志望校選び
息子の高校進学にあたり、志望校を決める前に決まっていたことは次の3つ。
- 中学時代やっていた部活があること
- 自宅から無理なく通える範囲
- 公立高校
夏に学校見学があり、公立3校、私立2校を見てきました。
その中でも親子ともに「ここがいい!」と意見が一致した好印象の学校。現在住んでいる市ではないので、同じ中学から行く予定の子はいませんでしたが、息子は迷うことなく最後までそこを志望校として考えていました。
なので志望校選びという点ではすんなり決まりましたが、当時の息子の成績はまだまだその学校には届かない、かなり頑張らないと難しい、そんな水準でした。
受験対策講座への参加
「ここに行きたい」とは言うものの、決して勉強してる様子のなかった息子。
もともと自分の考えをうまく言葉で表現するのが得意な子ではないので、ほんとに何考えてるのかわからない。
どんどんと過ぎていく時間。
中学校でも進学説明会が開かれたりして、高まる受験シーズンの雰囲気。
母としては不安のあまり、「ゲームばっかやって!」「今からやらなきゃ間に合わないよ!」と口うるさく言ってしまった時期もありました。
でも返ってくるのは反抗だけ。
「やってるよ!」「勝手に決めつけるな!」
あんまり勉強は得意ではないと思うし、前々からどうも勉強の仕方がわかっていないっぽいところがある。間違ったところをきちんと見直してるのかさえ不安。でも結構頑固で「自分でできる」という。
母は、自分の試験の経験を持ち出して「間違ったところに付箋をつけておいて…」なんてアドバイスしてみますが、親の言うことなんて小言にしか聞こえないんですよね。
それを解消するために話し合った結果、秋から中規模学習塾の受験対策講座に通うことにしました。土曜日のみの講座ですが3月まで継続され、受験に対するモチベーションもあがるのではないかと期待を込めて。
すると、少しずつ少しずつ成績が上がってきました。模試でも志望校の合格率は「努力圏」から「可能圏」「安全圏」という判定へ。
なんだか少し勉強楽しくなってきたっぽい感じもしてきました。その頃にはもう冬になってきました。
状況一変
1月。志望校を決定する頃。
息子の中学校からは息子だけだと思っていたのですが、どこの学校に行くか迷っていた仲の良い友達2名が同じ高校への受験を決めました。
この時、こぐまの胸はざわつき始めました。部活も同じ仲良し3人組。ママたちも気兼ねなく付き合える大好きな人たちです。3人一緒に通えればもちろんいい。でも息子よりも成績のいい2人のお友達。
もし息子だけ落ちたら……という焦りの渦が心に発生してしまいました。
そしてさらに。
出願期間が終わって発表された倍率。
異例の高さ。
つまり、不合格者の数がすごく多くなるということ。
そして1月に受けた最後の模試。
結果は…「努力圏」へ逆戻り。
わたしにできることはありませんでした。YouTubeばっか観てるんじゃないか?なんて思うこともあったけど、ぐっと我慢して見守りました。(というよりただの放置かも。)
夫が、模試で間違えた数学の問題を一緒に解くというのは試験直前に数回やってくれていました。
3月。試験当日は「体調万全で試験会場まで送り届ける」それしか親にはできません。受験会場に入っていく息子の後ろ姿に「大きくなったな」と涙が出てしまいました。
そして合格発表
この日まで私は何度、脳内シミュレーションしたかわかりません。
合格掲示板に受験番号がなかった場合…
息子だけが落ちてしまった場合…
自分のことでは、こんなにも不安だったことはないかもしれないというくらい、なんとも言えない気持ちで1週間を過ごしました。
こんな時、いいイメージをしなくてはいけないと言われるけど、わたしは自分の感情に予防線を張るように、万が一の時、息子を無理なく励ませるようにとそんなことばかり考えてしまっていました。
結果を早く知りたいけど知りたくない
そんなわけのわからない、複雑な心境でした。
息子に心境を聞いてみるとボソッと「不安しかない」。
そして迎えた合格発表日。
定刻20分前には学校につきました。
時間になって合格者の受験番号が張り出され、歓声があがります。
なかなか怖くて前に進めず。前の人の頭で見えそうで見えない数字。
もうこの時点では母たちは泣いてしまっていました。
あるかもしれないし、ないかもしれない。
……あった!
あったよね?
間違いないよね?
3人仲良く並んで番号がありました!
嬉しくてこんなに泣いたのは人生初めてかもしれません。
よかった…よかった…よかった…
みんなで抱き合って喜びました。
この日、わたしは何度「よかった」を言ったかわかりません。大げさでなく100回は言ったと思います。
入学書類をもらいながら「よかった」
制服の採寸をしながら「よかった」
教科書を買いながら「よかった」
不安で不安で仕方なかったぶんだけ、嬉しさがありました。
息子は表には感情を大きく出さないけれど同じだったはずです。
母ができること
どちらかと言うと(どちらかと言わなくても)教育に熱心なママではありません。
フルタイムで働いてる頃はもちろん、今でも自分優先のずぼら母です。
受験者の母と言えば、夜食を差し入れしたりするイメージがありますが、夜食はおろかこぐまはいつも先に寝ておりました……。
そんなわたしでも、やっぱり自分のことのように、自分のこと以上にやきもきしました。
でも母にできるって、子どもを信じて見守ること、いつでも必要があれば力になることを伝えること、それくらいしかないのかもしれません。
万が一不合格だったら
頑張ったことに変わりはないんだから、胸を張って帰ろう
と言うつもりでした。
挫折という事実をどう受け止めるか
それによってその後の人生は大きく変わるってことも伝えるつもりでした。
落ち込むなではなく
落ち込んでいいんだよっも言わなくちゃって思ってました。
でも、本当はそんなこと母親がひとつひとつ言う必要のないくらい、もう息子は大きくなっているのかもしれません。それに気づかずに「もしも」を先回りして考え、息子の合格を信じてあげられなかったわたしはまだまだ母として未熟なんだろうと思います。
そんな反省も込めながら……きちんと自分で最後まで頑張りぬいた、合格を勝ち取った息子に心からの「頑張ったね!」「おめでとう」と無数の「よかった」の嵐を送りました。
最後に…
のちのち、この日を思い出す時、感動と共に思い出すのはクォン・サンウのファンミに行ったわたしの母のことでしょう。
かわいい孫の合否が心配で仕方ないと言いながら
「受かったよ~!」とラインするも未読。
電車に不慣れな母が心配なのでついたら連絡するように言ったのに連絡なし。
息子への心配が終わった途端、母の心配をするはめに。
結局……
無事、都会への大冒険を終え、ファンミを満喫していたようです……
とりあえずよかったけど…まったく(笑)。
苦しい時間を乗り越えて合格を勝ち取った皆さま、おめでとうございます!
頑張ったのに結果が出なかった子、体調不良でいつもの実力が出せなかった子、試験さえも受けられなかった子……そしてその保護者の方々もいるはずです。
さまざまな感情を乗り越えて、迎える新生活が明るいものでありますように。
すべての受験生とその家族、先生方に。
お疲れ様でした。