こぐまの解放日誌

自分のことを見つめ直す時間。韓国語とわたし。

結局残ったのはこれだけでした[Day14 これまでに夢中になったモノやコト]

[最近ハマっていること]の回でお話したように、わたしは「ハマる」経験の乏しい人です。まぁ、ヨーグルトはこれ、とかこの店にいったらこれ、とかそういう安定的なハマりはありますし、一過性のブーム的に昔、ビーズアクセサリー作りをしていたことがありました。(いつの話だろ)

kogumanoyume.hatenadiary.com

 

なので短かった唯一の推し体験についてお話します。

2002年冬、テレビでドラマの予告が流れた途端、ひとりの男性の走る姿に目が釘付けになりました。そう、ウォンビンです。

 

日韓共同制作ドラマ「フレンズ」です。

2夜連続ドラマ。「絶対これ観る!!!」と決め、放送当日、楽しみにテレビの前に座りました。

 

韓国と言えば、洋服などのタグにある「MADE IN KOREA」の表示くらいしか馴染がなかった当時。そんな中で初めて目にした韓国男性「ウォンビン」は、まさに

 

「ワンジョン ネ スタイル」(完璧にわたしのタイプ♡)

 

だったわけです。

 

最初の舞台は、韓国でも日本でもなく別の国。偶然出会ったウォンビン演じるキム・ジフンと深田恭子演じる日本人の智子がアクシデントに巻き込まれ、出逢うわけです。

 

2人は自分の国に帰ってからも、メールでやり取りをし想いを募らせていきます。

そのドラマによって、韓国という国について

・兵役があること

・韓国から日本に来るには、こちらから行くよりたくさんお金がかかること(当時)

在日韓国人の存在

などを知りました。

 

離れた国でお互いを想いながらも今のように通信網の発達していない20年前、ふたりはすれ違ってしまうわけです。

 

ともこー!!!

 

ウォンビンの切ない叫びに智子に改名したくなった日本人はわたしだけではないはずです。

 

この作品は今でも大切に保管しています。調べたら、今は中古が格安で販売されていました……涙

 

 

ともあれ、この衝撃的なウォンビンとの出逢いが、私に生涯の友となる韓国語を連れてきてくれたわけです。

 

40年以上の人生でファンクラブに入ったのは、ウォンビンが初めて。

写真集も買ったし、東京の写真展にも行きました。

 

わたしの心の中のウォンビンへの熱い思いは消えてしまったけれど、韓国語だけはわたしのもとに残りました。

入隊や結婚を経て、作品に出演しなくなってしまったウォンビン

現在もコーヒーのCF(テレビコマーシャル)などには登場し、元気な姿に心の中で「ありがとう」を言っています。