中学生のころの将来の夢は〇〇だった
小さい頃から本を読むことが好きだったので文章を書くことも好きでした。
作文コンクールや標語コンテストの入賞などにより、ある程度自分には文章力があるのかなぁ、という気持ちもあったりして……。
そんな私が中学時代にはまっていたのが、講談社の「ティーンズハート文庫」。
ご存じの方、同世代の方もいるでしょうか?
可愛いイラストが描かれたピンクの表紙。10代の女の子の胸キュンラブストーリー(古い?)
のあれです。
小林深雪、青山えりか、折原みと……そんな先生方に憧れて、実は私も小説を書いていました。友達や自分を主人公にした、それぞれの好きな先輩や同級生との妄想たっぷりの夢物語。当時はパソコンなんてありませんから、市販のノートにもちろん手書きで。
そこにイラストの上手な同級生が挿絵を描いてくれて、完成したものは部活のみんなが回し読みをし、ノートの後ろに感想を書いてくれていました。「新作はまだ?」「今回も良かった!」友人の言葉にちょっとした小説家気分を味わっていたわたしが、卒業文集に書いた将来の夢は、実は「小説家」だったのです。
自分の文章への劣等感
ところが翻訳というものを勉強し始め、強く感じたのは自分の文章の薄っぺらさでした。作品のあらすじやアピールポイントなどをまとめた「レジュメ」を書くという作業があるのですが、他の方々のレジュメは知性溢れる文章や豊富な語彙でまとめられ、自分のレジュメを発表するのが恥ずかしいと思うほど。
ブログやSNSなどで誰もが発信している今、文章の上手な人など山ほどいるわけです。
いつしか文章を書くことが好きだという気持ちは劣等感に変わっていました。そんな中、1冊の本と出会いました。それが、いしかわゆきさんの『書く習慣』です。
『書く習慣』を読んで
![書く習慣 [ いしかわゆき ] 書く習慣 [ いしかわゆき ]](https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/5931/9784295405931_1_3.jpg?_ex=128x128)
- 価格: 1628 円
- 楽天で詳細を見る
いわゆるビジネス書や実用書のジャンルに入る本ですが、不思議とリラックスして読めます。それはなぜか? 難しい言葉がいっさい出てこない、心地いい文章なんです。そして時々くすっと笑い、あとがきでは読者に向けられた一文に目頭まで熱くなってしまいました。
文章を書きましょうよ!人生変えましょうよ!なんて決して押し付けてこないのに、読み終わると何か書きたい!って気持ちになるのです。文章ってやっぱりその人そのものなんです。ゆきさんも言っているように、「その人」の見えない文章には魅力がない。でも、誰かに読まれると思うと、ちょっと格好つけちゃったりするじゃないですか。わたしもそうでした。
こんなこと書いたら、頭がすっからかんなのがばれてしまう、とか。上手にまとまらないから、いつまでたってもブログをアップできないとか。だからちょっと構えてからじゃないと、かっこよくないと文章なんて書いちゃいけないような気がしてたんです。そう「いい子ちゃん」文章を求めていたんです。
だけど、もしわたしが自分の引き出しにない言葉で一生懸命武装して、もっともらしい文章を書いたところで、そこにわたしはいない。
読み終わって、なーんだ、もっと気楽に書こう!って。
わたしの文章は誰かの知らなかったことを解説したりはできないし、知的なものではありません。だから、多くの人にとっては「つまらない」ものかもしれないけど、ごく一部の人が「共感」や「安心」をしてくれるような、かっこ悪い文章であればいいなと思えました。
文章を書くことが楽しくて仕方なかった中学生のころのように、肩ひじはらずに、頑張らずにわたしの中にある想いを解放していきます。そして偶然、誰かのもとに届きますように……。